つぐり便り  2015  如月  早春
今月の切り花
       
 今月の山野草  
         
   
 
つぐり便り  2014 文月 晩夏
 今月の切り花
     
 今月の山野草
     
     
 
つぐり便り   2014   皐月   初夏
 
 

 
     
     
 
 つぐり便り   2014  仲春 弥生 (3月)  
     
     
 フクジュソウ  バイカオウレン  フキノトウ
つぐり便り   2013   仲秋 長月(9月)
つぐり便り   2012   晩秋 神無月(10月)
10月8日 体育の日
寒露
23日 霜降
31日 ハロウィーン
つぐり便り    2012 晩夏 文月(7月)

「新美術海」より 芸艸堂
ブドウのお話し  「コクワとブドウ」

アイヌ神話にブドウの話があります。
アイヌの神アエオイナが彼らの住む村へ降り立ったとき、
銅の色をした木を持っていました。
その木にまとわりついた蔓が、コクワとブドウです。
村の誰かが病気になると、ブドウの蔓を切って患者の枕元に置き、
蔓に向かって呼びかけました。
「あなたは天から下ってきた蔓であり、
人々の病気を治すのがその役目です。
あなたの持つ命を薬に変えて、この病人に力を与えて下さい。」
そして、その蔓を細かく切り刻んで水と共に煮込み、
その汁を病人に飲ませました。
コクワの蔓も同じように病人に、祈りを捧げてから病人の薬として
使ったそうです。
ハス、モナルダ、サラセニア バラ(アルテ)、オトメユリ、
トルコキキョウ
バラ(フィスタ)、
ヒマワリ(東北八重)、  八重スカシユリ
つぐり便り    2012  初春 如月

「新美術海」より 芸艸堂
2月
3日 節分
4日 立春
14日 バレンタインデー
19日 雨水

つぐり継里の受け継ぐお話

節分のヒイラギ
ヒイラギは温暖な場所を好む木です。古くから縁起物の木として
愛されてきました。将棋の駒やそろばん玉の材料に用いられます。
節分の日にヒイラギの枝に焼いたイワシを刺し、
魔除けとして家の軒先に飾る習わしがあります。
これはヒイラギのトゲが鬼の目を刺し、イワシの焼ける匂いが鬼を寄せ付けないとされることから この飾りがある家には
鬼が入ることができないとされた事に始まります。
最近ではほとんど見かけない光景ですが この時期 見かけた時は
受け継がれている風習を感じ ホットします。
ラナンキュラス ラナンキュラス ラナンキュラス
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つぐり便り    2012  晩冬  睦月



新美術海」より 芸艸堂

つぐり継里の受け継ぐお話し
新年に無くてはならない木・・松のお話し
天女の羽衣

日本では天女は必ず水辺の松原に登場します。
神木とされたマツの林は、
神が降臨するのにふさわしい場所であることや、
水辺が神と人間の領域の境目であることが要因なのでしょう。
この伝説は全国各地で伝わっており、最も有名な場所は、
静岡市の清水にある三保の松原です。
「駿河国風土記逸文」によれば マツの木の枝に羽衣をかけた天女は、
それを漁師に奪われたため その妻となりました。
やがて羽衣を見つけ天女が飛びたつと 
漁師も後を追って天へ昇ったとのことです。
今でもこの地には、樹齢650年と云われる「天女の羽衣の松」があります。
樹齢からうかがえるようにこの松は2代目だそうですが、
景勝の名所として親しまれています。
ちなみに 能楽の演目「羽衣」はこの三保の松原の天女伝説をもとに
作られたそうです。

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つぐり便り    2011  仲冬  師走

「新美術海」より 芸艸堂
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つぐり便り   2011 初冬 霜月

「新美術海」より 芸艸堂
つぐり継里の受け継ぐお話し

11月に入り 針葉樹の入荷が多くなる時期になりました。
ヒムロスギ、ヒバ、

杉のお話し “杉の恩返し”
宮城県の苅田郡七ヶ宿(現在の七ヶ町)には 昔ある商人が関西を旅していたとき、
この地出身の力士と道連れになった話が伝わっています。
ふたりは道中を楽しく過ごしたのですが、力士の方は路銀(旅費)が
乏しくなったので「必ず返すので金子(お金)を貸して下さい。」と 
商人に頼みました。
商人は快く貸し与え 力士は「自分は関の大杉です。」と名乗りました。
それから数年後、関村にやってきた商人は、ここが力士の故郷であることを
思い出し、人々に訪ねて回ったのですが、力士の存在を知る者はいませんでした。
ただ“関の大杉”と呼ばれる古樹があることを聞いたので そこに行ってみました。
すると 杉の木の低い所に袋がぶら下がっていて中を開けると 
あの時の“関の大杉”に貸したお金がピッタリ入っていました。 

・・・・と、杉にまつわる 受け継お話しでした。
今月の切り花
リューカデンドロ etc
ベンケイソウ、バラ、
ハナナス・ブラックパール
ダリヤ、ビバーナムティナス、
老爺柿
今月の山野草
ツクバネ
とても珍しい寄生植物です。
甘木りんどう アオツヅラフジ

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つぐり便り   2011 晩秋 神無月

「新美術海」より 芸艸堂
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つぐり便り   2011 仲秋 長月

新美術海」より 芸艸堂
今月は行事が盛り沢山です。 
重陽の節句に菊を飾り、十五夜にはお月さまと秋のお花で
月光浴をしてみてはいかがでしょうか。
中旬には敬老の日で人生の先輩たちを敬いお彼岸には御先祖様を
供養して・・と長月はめぐりますね。
今月の切り花
・アナベル ・ゲットウ 
・トルコキキョウ
メキシカンハット
・アオイの実  
・シンフォリカルポス
・コニカル(ブラック)

ガマズミ
・ワックスフラワー
・コニカル(グリーン)
・ビバーナムコンパクター
今月の山野草
南蛮煙管 
ナンバンギセル

別名「思い草」は姿が何か物を思うように
見える事から命名されたと云われます。
昔、南蛮人の船員が口にくわえていた
タバコに似ているのでナンバンギセルの
名がついたとか・・。尾花(ススキ)やミョウガ
サトウキビなどの根に寄生する無葉緑植物です。
秋らしいお花ですね。
玉造り
・ホソバノコンギク
・ヤクシマススキ
・タデアイ
可愛いサイズです
玉造り
・マキエハギ

動きのあるハギに
躍動美を感じます。
玉造り
・ホソバトラノオ
・ネズミガヤ
草むらの中を
覗いているみたい
ノボタン

エレガントですね。

寄せ植え
・ヤクシマススキ
・マキエハギ

秋の草花の代表ですね。

寄せ植え
・ヤマラッキョウ
・タデアイ
足元の苔が景色を演出していますね。
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つぐり便り   2011 初秋 葉月 

「新美術海」より 芸艸堂
夏の山野草 緑をふやしましょう!!
暑さが厳しいこの時期です。直射日光は出来るだけ避け、日よけをしましょう。
山野草達も暑さに負けずに元気に育っています。じっくり見て 観察しましょう
今月の切り花
   
今月の山野草
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つぐり便り   2011 晩夏 文月 

文月
「新美術海」より 芸艸堂
2日 半夏生
7日   七夕、小暑
18日  海の記念日
23日  大暑
7月の切り花
露地ものが主役の時期になりました。 
どこかで咲いていたのを見たことがある野の花が多くなります。
ぱあっと明るい春の花に比べて清楚で日本的なのも
この時期の特徴です。


水辺のお花とメダカ!!
スイレン鉢に姫スイレンとメダカを入れ 
備長炭を多めに入れると水の濁りを防いでくれます。
水温が上がりすぎないように 
水草を多めに、器は焼き物系がいいでしょう。
夏は水の中に酸素が不足がち、毎日少しずつでも
カルキ抜きの水を足すだけでもいいです。
水草の間から覗くメダカはとても可愛いく癒されます。
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2011 早春 如月

如月

「新美術海」より 芸艸堂
つぐり継里の受け継ぐお話し
2月をあらわす代表的なお花、
春いちばん早く咲く花として昔から人々に愛されてきました。
ウメといえば学問の神様、菅原道真ですね。
2月25日、京都・北の天満宮のウメの香ただよう境内で催される梅花祭では、
米や餅と一緒に梅の花が供えられます。


梅を使う言葉も多く・・
梅に鶯 (取り合わせのよい二つのもののたとえ。)
梅桃の若冠(紅顔の美少年)と美しいものへのたとえや、
梅暦(梅の花の咲くのを見て、春を知る
)など
花に託す言葉って季節を感じていいですね
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2011 晩冬 睦月 
つぐり継里の受け継ぐお話し

神無月

「新美術海」より 芸艸堂
松 
この木がなくてはお正月がこないと、昔の人は真剣にそう思っていました。
なぜなら春をもたらす年神さま、
すなわちお正月さまはマツの木に宿ると信じられていました。
マツの名は「春を待つ」または「祭り木」からといわれています

喜びの色
紅白、金銀、緑とお正月にはおめでたい色が総動員。
この色はお正月以外に結婚式などの祝い事に必ず使われるおなじみの色です。
紅白の紅は赤。つまり火の色であり血の色、人が生きていくために必要な色。
そのため古代から、赤い色をしたものは、私たち人間を守ってくれる偉大な力をもつと信じられ、
魔よけ厄除けに使われてきました。
一方白は清浄無垢な神の色。紅白セットでおめでたいしるしとして
使われるようになったのは江戸時代に入ってから
リセットの意味で白に戻して始まります。。
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2010 仲冬 師走
つぐり継里の受け継ぐお話し


「新美術海」より 芸艸堂
江戸時代からの古典園芸植物

千両、万両、百両(カラタチバナ)、十両(
ヤブコウジ)縁起植物として扱われていますが、
金額の大小は植物体や果実の大きさが関係しているようです。

赤みの他に黄実やオレンジの実をつける「センリョウ」は樹高80センチ程になり
センリョウ科の植物。
株が横に広がるので関東以西では庭植えとしても楽しめます。

マンリョウは江戸時代に流行し、明治時代に多くの品種が作られました。
様々に斑が入る品種があり、野生種は樹高1メートルにもなります。

センリョウ、マンリョウと一緒に小低木のアリトオシを鉢植えにして
「千両、万両有り通し」のは商売繁盛を願っての事とか。
暮らしに生きる日本の花 「柿」
秋が深まるにつれて柿の実は黄赤に色づいていきます。
青く実った渋柿の実には大量にタンニが含まれています。
それを絞ると青緑の汁が出て、その液を2年ほど寝かせて自然発酵させたものが、
柿渋と称されるものです。

その柿渋を麻布などに塗ると、やがて茶色を呈するとともに、
漆を塗ったように丈夫な布になります。その布でつくった衣は「柿の衣」で、
防湿や防寒の効用があるため、
かつては山岳を修行する山伏などが着用しました。生活の知恵です。 
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2010 初冬 霜月
つぐり継里の受け継ぐお話し


「新美術海」より 芸艸堂
1200年前のモミジ
かつて平城宮跡から黄葉した木の葉がたくさん出土したことがあります。
コナラ、クヌギ、ナラカシワ、イロハカエデなどのそれらの葉は
出土の瞬間たった今落葉したかのように美しい色をしてたとか。

これでみるかぎり1200年前の平城京では「黄葉」が「紅葉」より
圧倒的に多かったらしい。
かの「万葉集」にも「もみぢ」のほとんどに「黄葉」の字が当てられています。
ところが赤く色づくカエデが増えたのか、見る目が変わったのか
モミジはいつの間にか
カエデを指すようになり、漢字の方も「紅葉」になっていました。



敷松葉とは・・
冬季に飛び石や延段など、人の渡る部分を残して露地一面に
松葉を敷くというこを云います。
秋に赤葉となって落ちた松葉を拾い集め、水洗いして汚れを除き、
葉先を揃えて敷きます。
冬の霜で苔が傷むのを防ぐために行ったのですが、
敷松葉の茶褐色と露地の樹木の緑とも色調の対照は なんて美しいことでしょう。


暮らしの木  栗
桃・栗三年、柿八年といわれるように栗の生長は早いが、材は緻密で硬く、家具材に適し、
かつて鉄道の枕木に使われていました。日本中に広く分布しコナラとともに林を形成し、
いちどきに落葉するため、薪炭やたい肥に暮らしを依存してた時代には、
農業にはかかせない森林として生活に密着していました。


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2010 晩秋 神無月

神無月

「新美術海」より 芸艸堂
つぐり継里の受け継ぐお話し
秋の植物たち
ドングリとリス
今年の夏は暑すぎて自然界全体がきついです。。。
野山では秋深しになり、小鳥やリスたちがせっせと食料探し。
リスは食べきれなかったのか、冬に備えるためなのか、
収穫したドングリを地中に埋めて隠します。
それも3〜4センチの深さに掘ります。
ドングリって地面に落ちただけでは発芽しにくく、乾燥に弱いです。
リスによって埋められたドングリかやがて芽を出し。。森のガーデナーですね。


アケビとムベ
どちらも紫がかった長楕円の実をつけますね。
いちばんの違いはムベは熟しても「う〜ん」と口をと閉じたままなのに
アケビの実は熟れるとパックリと縦に割れます。
パックリ割れた様子が人があんぐり口を
開けたように見えるので「開実アケミ」それがアケビとなったと云います。


クルミの方舟ハコブネ
四方に枝を伸ばし、夏には涼しい木陰を作り、秋には栄養豊かな実をいっぱい結ぶ
クルミの木は古代ギリシャで「王者の木」と呼ばれたほど古くから人気もの。
この木には精霊が宿り、枝の先から霊力を発し、
実にも魔力があると信じられていました。
ノアの洪水が起こったとき、神々が食べていたクルミの殻が落ちてきたので
心正しき男女がよじ登ると、殻が広がって方舟になったんですって。

神秘的なお話です。
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2010 仲秋 長月
長月

「新美術海」より 芸艸堂
重陽 菊の節句
9月9日は重陽の節句。
中国から伝わったもの。昔、桓景という人が仙人に「9月9日に赤い袋に
呉茱葢(からはじかみ)を入れ、高きに登りて菊酒を飲めば
災いが消える」と言われ難を逃れたものと伝えられています。
着せ綿  
菊の節句とも呼ばれるこの日に、菊酒を飲み、着せ綿といって
菊の露を含んだ綿で、顔を拭いて長寿を願ったりします。
夏の疲れを払う意味で菊の節句を楽しんでみてはいかがですか。
秋の月
月の色々
 古来から月の満ち欠けを暦にして種をまき、収穫してきました。
だからささやかな月の変化も見逃さない。そんな古人いにしえびとの感性が
月にちなむ美しい言葉を生み出しました。 
中秋の名月
 秋まっただ中の満月なので中秋と云います。
十六夜いざよい=十五夜の翌夜に出る月、
日没よりやや遅れて出るため、ためらうように出る月という意味でいざよう月、
いざよいの月と呼ばれています。
待宵まつよい=名月の前夜、14日の夜の月 、
臥待月ふしまちづき=十九夜の月、寝床に臥して待つ意から。などです。
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2010 初秋 葉月

葉月

「新美術海」より 芸艸堂
葉月
陰暦八月の総称ですが、陽暦の九月初めから十月にかかる季節。
「木の葉やうやうに落つ」頃で「葉落ち月」が転じて「葉月」となったそうです。
ヒマワリのお話
その昔、クリュティエーという水の精がいて、太陽神アポロンに恋をしました。
しかし思いは届かず、ヒマワリに姿を変えて
一日中太陽を見守っている、というお話です。
南米のペルーはこのヒマワリが国花。すてきな伝説のお花です。
和名は向日葵と書きます。太陽の動きに従って、
花が回ると信じられていました。

英名はサンフラワー。太陽の花というイメージは万国共通です。
蓮見
夏はお待ちかねの蓮見です。
蓮は早朝に開花し午後には花を閉じ、三日の命と言われるスイレン科の多年草です。
仏法では極楽浄土に咲くと説かれ、中国では「君子」「君子花」と称えられた蓮は、
古くに中国からわが国に渡来したと言われます。
朝露の消えない頃に観賞したいものです。
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2010  晩夏 文月

「新美術海」より 芸艸堂
つぐり継里の受け継ぐお話し

七夕のお話
日本の七夕はもともとは豊作を祈る行事でした。
織り姫と彦星の話は中国から伝えられ、あとに結びついたものです。
中国では古くから牽牛星が農事を、織女星が養蚕や糸、針を司る星として
信仰されていました。

織り姫の名にちなみ昔は女子の裁縫の上達を願ったものです。
後漢以後天の川を隔てて対する二つの星の恋の伝説が生まれました。
この伝説と、日本古来からある棚期つ女タナバタツメの信仰が習合してできたのが
七夕祭りです。
今では学習全般の願い事を祈るようになりました。七夕の前夜、短冊に歌や願い事を書き、竹に吊して庭先に飾ります。
笹竹売り・・
昔は笹竹売りが「竹や、竹や」と竹を売りに来ていました。
7日の前日の6日の夕方から七夕竹を立て、梶の葉7枚に歌を書いて
星に手向ける風習でした。
天の川を隔てて相対する牽牛星(わし座のアルタイル星)と織女星(こと座のヴェガ星)の両性が最も接近するのが陰暦の7月7日となり伝説に発展しました。
夏の夜空を見上げながら星探しもいいかも。
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2010 仲夏 水無月

水無月

「新美術海」より 芸艸堂
季節の花 あじさい
あじさい
オランダの学者シーボルトが日本原産のこの花に魅了されて、
帰国後「ヒドランジア・オタクサ」という学名を与え発表しました。
これはシーボルトの愛人だった楠本滝の
通称「おたきさん」から来ています。
大輪で、空のような美しい青色をしているからオタクサと名づけた」との事。
神奈川県の海岸地帯には昔から額アジサイが自生して 、
これからアジサイや紅額、その他の花々が生まれたと言われます。
日本には二十数種余りありますが、日本産のアジサイが欧州に渡って改良され、
外国には数十種もあると言われます。
アジサイを増やすには挿し木が一番やさしいです。
戦後この方法でアジサイを増やし有名になった鎌倉の名月院。アジサイ寺として有名です
クレマチス
 ギリシャ語で「つるになる植物」の意味。そのつるが、
針金のように細かく硬いことから「鉄線」という和名がついたのです。
新緑の季節 緑の効用 
緑の葉は1グラムあたり、2〜10ミリグラムの炭酸ガスから
約70%に当る酸素を放出し、動物に生命を与えてくれます。
緑の森の中に入ると気持ちいいですね。
これは植物が発散する各種のテルペン類のためであり
テルペン類のあるものは鎮静効果があります。

緑をふやしましょう。
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2010 初夏 皐月


皐月

「新美術海」より 芸艸堂
端午の節句
  平安朝以来宮廷で五月に行われた節句。
五月の端(はじめ)の午(うま)の日に行われたので、端午といい、
後に五月五日に定まってもこう呼ばれています。
鯉のぼり 
 昔、中国の黄河上流には竜門という難所があって、
そこを昇った魚は竜になると言われてきました。
その竜門を昇った鯉が神通力を備えた古事にならい、男の子の健康を願ったのが
鯉のぼりの起源です。
ショウブ
  五月上旬に咲く菖蒲と藤は夏の二季草と呼ばれます。
菖蒲は薬草で繁殖もよい陽性の植物ですから、、
陰暦五月の異称「悪月」の邪気を払うのにふさわしいです。
菖蒲湯にしたり、軒を菖蒲で葺いたりして、端午の節句には欠かせない素材です。
八十八夜のころ
「夏も近づく八十八夜」は茶摘の歌。立春から数えて八十八日目が、
立夏直前の五月二日頃。この日から二、三週間が茶摘みの最も盛んな頃になります
5月2日は八十八夜。「八十八夜の分れ霜」とういうことで、
この分れ霜は雨のあとの快晴に、日中温暖で夜に入って星も出て、
風や雲がないときに夜が更けて急に温度が下がり、
明け方氷点下になることを云います。
この日から霜の降りることもないとされてきました。
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2010 晩春 卯月 



「新美術海」より 芸艸堂
単に花見といえばサクラを指すように日本を代表する花木です。
古くは日本書紀や古事記にも現れてましたが、その当時(奈良時代)は
中国から渡来したウメの方が愛好されていました。
平安時代以降サクラがもてはやされてきました。

桜言葉
「花といえば桜」の言いかたは平安時代の頃から言われるほど、皆桜が大好き。
花見は桜の盛りをいったもの。花むしろは花見のための敷物。
落花は散り際の桜に視覚的な美より精神的な美を仮託した言葉です。

花いかだは筏イカダで川くだりする際に桜の花が水面に散って吹きよせられた様が
筏流しに似ていることから。

花守ハナモリは桜の花の盛りを演出する黒子のこと・・・
などなど桜をさす言葉はいっぱいありますね。

花見
 現在花見の対象となるサクラは染井吉野ですが、この花は明治の初年に
東京の染井の植木屋から全国に広まった種類です。
それ以前のサクラの表記は山桜、彼岸桜、里桜など。
平安中期以降、貴族たちが盛んに観桜の宴を開き、桜狩りや花見の習わしも
このころから生まれたものです。

剪定 
「サクラ切る馬鹿、ウメ切らぬ馬鹿」といわれるように、ちょっと乱暴ですみませんが、
サクラは強い剪定を嫌うので、
重なった枝や込みすぎた枝を切るのに止め、なるべく自然樹形で育てていきます。
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2010年 3月 仲春 弥生

新美術海」より 芸艸堂
流し雛
ひな祭りの源流を探ると、古代の「人形ヒトカタ信仰」に
たどりつきます。
けがれを人形に移して水に流す古い信仰は三月節供と結びつき
「雛送り」「流し雛」の風習を生みました。島根県八頭郡用瀬モモガセ町の流し雛は古俗をよく伝える美しい行事です
けし雛
 
大きさは3センチ足らずの小さなけし雛をきなこ包みに入れ、
古くからの風習で初節句のお返しに、きな粉、大豆を入れて
菱餅に添えるお雛様でした。
糸雛 
さつま雛とも呼ばれ鹿児島に伝わる。人形ではなく女子の小物の
名残りをとどめているめずらしい雛。
檀紙でのしを折り、糸は色ものを使います。
桃の霊力
中国では古くから桃には魔よけの呪力があるとされ、桃の木で作った弓や人形を門戸に立てたり帯につけたり、護符も行われました。
なぜ桃が魔よけになるのか・・
 早く咲き実が多く、繁殖力が強い事や、陽性の植物で陰気を
おう力がある、ことからです。
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2010年 2月 如月
 


「新美術海」より 芸艸堂

花便り
つぐり継里の受け継ぐお話し
如月
寒いのでどんどん重ね着をする「衣更着」の説と、陽気がよくなる季節
「気更来」と、草木の芽吹きのころ「草木張月」の転じた名前の由来です。
節分
節分に豆をまく習慣は、室町時代からといわれ、お正月さまについて空からおりてきた
悪い精霊(鬼)を追い払い、春をよぶものです。
ヒイラギの枝に焼いたイワシの頭を通したものを門口にさす風習があります。

掃除を気にしないで思いっきり豆を投げるのもいいかも・・
四温日和
 1日1日と日脚が伸びてきました。
最も日の短かった冬至に比べ、昼の時間が三十分ほど長くなり日没の時間も遅くなりこれからは1日1分ずつ日没が遅れていきます。
2/3は節分。冬と春の境の日です。寒さの中にも植物の芽吹きはわずかに始まっています。
節分を過ぎると植物たちも花芽分化が始まります。
これがとう立ち。これから旬のフキノトウはこの「とう(花蕾)」を食べます。
動き出しているのを感じます。
フキノトウ
フキノトウを食べよう  
2月の終わりから3月の始めに顔を除かせるフキノトウ。
温暖化で1月の末には顔を覗かせていますね。
ふきに比べてビタミンAが15倍もあり、カロテンやビタミンB1、B2も豊富。
苦味のもとはカリウムやポリフェノール。タンパク質、糖分も豊富の
優良食品。年と共に苦みがおいしく感じます。
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2010年 1月 睦月


新美術海」より 芸艸堂
春の七草
セリ、ナズナ(ぺんぺん草)、ゴギョウ(ハハコグサ)、ハコベラ(ハコベ)、
ホトケノザ(タビラコ)スズナ(カブ)スズシロ(ダイコン)
七草粥
お粥に春の七草を入れて食べる習慣があります。
初春に萌え始めた若草の芽を食べると、新しい生命力が身に付き、万病を除くと考えられていたからです。緑の少ない冬にビタミンを補う役目も果たしています。
この木がなくてはお正月がこないと、昔の人は真剣にそう思っていました。
なぜなら春をもたらす年神さま、すなわちお正月さまはマツの木に宿ると
信じられていたからです。
マツの名は「春を待つ」または「祭り木」から
きました
ツバキ
冬の代表的なお花ですね。万葉集にも「つらつらツバキつらつらに」と
歌われているツバキはどうやらつやつやした葉っぱをたたえて詠んだもようです。
観賞花として人気を集めたのは江戸時代になってから。。
その前は神秘の霊木としておそれ崇めれていました。
春を代表する木だから「椿」作ってあてたのは日本人。ヨーロッパへは
スペインにはじめて紹介され、そしてデュマの「椿姫」が生まれることになります。

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